「田母神論文」

 いわゆる「田母神論文」について、新聞やテレビが一斉に批判している中に、自衛官が政府見解と異なる内容の論文を書いたこと自体を問題としているものが多く見られることには違和感がある。
 論文の内容そのものについて歴史学や政治思想史の見地から検証・批評することや、自衛隊の組織的な教育プログラムにおける「歴史観」の取扱等に関して取材・報道することの意義は大きく、よってこの論文を大きく取り上げることについては賛同するが、しかし自衛官が政府見解と異なる内容の論文を書いたこと自体が直ちにシビリアンコントロールを逸脱する行為だとして非難される点については、容易に賛同できるものではない。
 ウェブ上では多くが指摘している通り、これは「公務員の人権」に関わる論点であり、自衛官表現の自由はどこまで・どのように制約しても憲法違反にならないかという観点から検討されるべき事柄である(現行自衛隊法による制約が妥当か否かを含めて)。公務員が自己啓発のために懸賞論文を書く際に、個人的な思想・信条の表明を制約することが憲法上可能か。これを許すことが「北朝鮮」と同じかどうかは別にしても、過剰制約だと考えるのが妥当ではないだろうか。
 仮に自衛官が政府見解と異なる歴史観を表明してはならないとするならば、当然に、公立学校の教職員が教育現場における日の丸・君が代の取扱について政府見解と異なる主張をすることは直ちに違反行為となるだろう。逆に、教職員の発言や行動に自由を認めるならば、田母神論文についてもその発表行為自体は問題視する類のものではないはずだ。これは公務員の人権保障をどう考えるかによって立場が分かれる論点であり、歴史観そのものによって左右されるべきものではない。
 私は、公務員にも表現の自由をはじめとする人権が保障されることを前提にして、その上で、公務それ自体が民主的にコントロールされているかどうか、つまり国会が定めた法律が公務員個人の思想・信条によって歪められることなく正しく執行されているかどうかを厳しく問うことこそが必要だと考える。その意味では、田母神論文の内容よりも、田母神空幕長の公務上の言動や、自衛隊あるいは防衛大学校における教育・啓発活動の実態のほうに関心がある。報道範囲の拡大に期待したい。