絶対平和主義

 『論座』6月号に掲載された長谷部恭男,井上達夫小熊英二憲法論のうち,最も「おもしろかった」のは,井上達夫の『挑発的!9条論 削除して自己欺瞞を乗り越えよ』だった。
 護憲派に向けられた「挑発」の一部を紹介。

 自衛隊・安保の現実に依拠しながら,「9条を守れ」と空疎なシュプレヒコールを繰り返す自慰的運動には欺瞞しか見出せないが,9条「護教論」を隠れ蓑にしたこの現実への寄生を自ら断ち切るために,自衛隊・安保を廃棄する立法改革・条約解消を民主的政治過程を通じて実現しようと真摯に努める運動には私は敬意を惜しまない。日本国民がこの運動を支持して成功させ,本当に日本を脱軍事化して絶対平和主義が含意する峻厳な非暴力抵抗の責務を引き受けることを世界に宣明するなら,その政治的リスクの巨大さにもかかわらず,否それゆえにこそ,国際社会において,そして人類の歴史において,憲法前文の言う「名誉ある地位」を獲得することができるだろう。

 こう述べた上で,しかし井上は,護憲派の本音を,「自衛隊・安保の現実」と憲法9条の「抑止力」の両方に股をかけた「現実追認論」あるいは「憲法凍結論」にすぎないと喝破して,これを「現実への倫理的タダ乗り」と呼んでいる。
 そして,もしも現実を追認して自衛戦力を保持するなら,それが自衛目的以外に濫用されないための条件について真剣に考えなければならないとし,まさしく「挑発的」に,徴兵制と良心的兵役拒否の制度を持つドイツを例に挙げながら,国民の「無責任な好戦感情」を抑止するためにも「自衛隊任せ」は考え直す必要があると主張している。
 確かに護憲派の運動が一定の成果を生んで「9条を守る」ことに成功したとしても,それが直ちに「平和」の実現となるわけではない。自衛隊日米安保も9条とともに「温存」される。つまり現状と何も変わらない。その程度の「果実」でよしとするのか。護憲派=平和勢力は,「9条を守る」ことの先に,どのような安保政策を構築してみせるのか。そこに説得力がなければ,護憲運動はやはり空疎なシュプレヒコールに終わってしまう可能性がある。
 同じ『論座』に掲載された信濃毎日新聞の論説には,こうある。

論説委員の内輪の検討会議では,平和や人権の理念をむしろ強化するための“護憲的改憲”の可能性についても話を始めている。憲法の平和理念を変質させる方向の改憲論と正面から論戦する心構えは,できているつもりである。