自民党新憲法草案(1)

10月28日,自民党の新憲法草案が発表された。改憲を党是とする自民党も,条文形式の草案を発表するのは今回が初めてのこととなる。早速,右からは落胆,左からは批判の声が上がっている。まずはその内容を確認し,問題点を整理したい。前文から順に見ていこう。

現在の日本国憲法前文は,一言で要約するならば「平和主義国家樹立宣言」である。終戦直後ということもあり,不戦の誓いと恒久平和のための国際協調を極度に強調している。その点で極めて「個性的」であり「独自性」がある。だから日本国憲法は,俗に「平和憲法」とも呼ばれて,世界各国の憲法の中でも,常に一目置かれるものとなっている。
それに比べると,自民党草案の前文は,「没個性的」で「凡庸」だ。この前文から新憲法を「○○憲法」と名付けたり,新しい日本国を「○○国家」と形容するのは難しいだろう。それを「普遍的」な「普通の国」の憲法として前向きに評価することもできるが,「顔の見えない」前文が,「顔の見えない」日本国の姿を象徴しているのだとすれば,その国を「愛する」のも難しそうだ。

 日本国民は,自らの意思と決意に基づき,主権者として,ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇制は,これを維持する。また,国民主権と民主主義,自由主義基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は,不変の価値として継承する。
 日本国民は,帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し,自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り,教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い,他国とともにその実現のため,協力し合う。国際社会において,価値観の多様性を認めつつ,圧政や人権侵害を根絶させるため,不断の努力を行う。
 日本国民は,自然との共生を信条に,自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため,力を尽くす。

まず「新しい憲法を制定する」と言った直後に,象徴天皇制を含む国家の基本原則を継承することが確認されていて,「新しさ」が見えにくい。今までの日本国憲法体制では成し得なかった何かを成し遂げるために「新しい憲法を制定する」のではないのか,いったい日本は何をしようと思い立ち「新しい憲法を制定する」のか,そこのところが見えにくい。強いて言うならば第5段落で「自然との共生」「地球の環境」に触れた点が「新しい」。しかし,この憲法が全体として「環境憲法」と呼ばれ得るものなっているかというと,全くそうではない。

第3段落の「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」は,まず表現として洗練されているとは言い難く,端的に言って「かっこ悪い」。日本国憲法前文の堂々と情熱的な文章に比べ,この草案は全体にどこか頼りなさが漂うが,内容とは別に,言語表現の技術的な練り上げが足りないことも原因と考えられる。

内容的にはおそらく,公共的なものへのコミットメントを国民の「責務」として位置付けるものと思われる。起草者たちに,現在の日本国民がそのような「責務」を果たしていないとの嘆きがあるならば,このような文句を挿入する意味は理解できなくもない。しかし,「愛情」や「気概」という言葉はあまりに精神主義的で,法律の文言として相応しくないだろう。例えば「日本国民は,国や社会の責任ある構成員としてこれに主体的に参画し,この憲法が掲げる諸理念の実現に向けて不断の努力を怠らない」などの表現で,同様の意味を込めることができるのではないだろうか。

次に問題となるのは第4段落の「圧政や人権侵害を根絶させるため,不断の努力を行う」という部分。これは現行憲法の「専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ」の延長線上にあるものだが,国際協調活動に自衛軍を派遣できるようにする9条の改正と合わせ読むと,この部分は所謂「人道的介入」への積極的な参加を示唆するものとなる。その決断は確かに「新しい」が,「人道的介入」についての国内議論は全く熟していない。

そして,「圧政や人権侵害を根絶させるため,不断の努力を行う」と言いながら,現行憲法前文の「われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という平和的生存権に関する記述が,この草案にはない。私は,「新しい憲法を制定する」のであれば,平和的生存権については現行憲法以上に明確に書くべきだと思っている。条文化するのが望ましいが,少なくとも現状維持,前文で触れるべきである。その点でこの草案は「退行的」で,賛同できない。