ビラ配布事件

マンションのドアポストに共産党のビラを配布していた住職が逮捕された事件で,東京地裁は昨日,無罪判決を言い渡した。「言論の自由が守られた」と評価する声も聞こえるが,そんなに単純な話でもない。

まず,マンションの廊下など共用部分は公共空間ではなく「住居」であり,誰の立ち入りを許すかを決める権限はマンション側にある。従って,立入禁止が明示されている場合に,それを破って立ち入ったときには,住居侵入罪が成立する。
このマンションの場合は,部外者の立入禁止を管理組合理事会で決定していたが,その表示は,「チラシ・パンフレット等広告の投函は固く禁じます」というもので,商業目的の広告配布だけを禁止するように読める文面であり,また,表示そのものが目立たず,一切の立ち入りを禁止するには意思表示が弱かったと判断された。これが,被告の住職を救ったといえよう。

正直いって,この判決はかなりきわどい判断によるもので,「ギリギリセーフ」の無罪である。まして,言論の自由を保障する憲法21条を根拠にして,ビラ配布の自由を認めたものではない。

そのうえ,マンションへの立ち入りが,どの程度まで許容されるかは,「立ち入りの目的・態様などに照らし,法秩序全体からみて,社会通念上容認されない行為と言えるかどうかによって判断するほかない」との基準を示した。
これは案外厄介な基準で,例えば「政党のビラならいいが,風俗産業のチラシはダメ」というような「内容審査」に繋がる可能性がある。言論の自由を保障しようとするとき,その言論内容によって「○」と「×」が分けられるような事態は避けなければならない。いかなる内容の言論も平等に保障されてこその「言論の自由」である。「風俗産業のチラシ」だとわかりにくいかもしれないが,例えば「宗教団体のチラシ」は?「カルト教団の広報誌」は?「新左翼団体の新聞」は?と考えていくと,「内容審査」の危険性がみえてくる。論理的には,「自民党のビラならいいが,共産党はダメ」ということになりかねない仕掛けがここにある。

とはいえ,私は,言論の自由を保障するためにマンションへの無許可侵入を認めよと主張する気は全くない。むしろ,個人の尊重という観点から,私的領域の保護を重視すべきだと考える。ビラの配布にとどまらず,例えば警察の巡回や監視も対象に,個人生活への干渉や接触を形式的に排除する権利がもっと大切にされていいのではないかと思う。
一方で,公共空間における言論の自由は,徹底的に保障されなければならない。私的領域と公共空間では,優先される権利が逆転するものと考えるべきではないだろうか。