靖国参拝

 昨年は元日に「初詣」と称して靖国神社に参拝した小泉首相だが,今年は見送った。中国への配慮と言われている。しかし問題はそう単純でない。「中国の圧力に屈する」首相の姿が,「日本国民」のナショナリズムを刺激して「反中感情」を高めてしまう可能性がある。中国政府が国民の反日感情を煽って目を外に向けさせようとしているのと同様に,日本政府もまた外に敵を捏造することによって国内問題をごまかそうとしているのではないか。日中関係の「政冷経熱」を偶然とみるのはあまりにナイーブだろう。
 そもそも総理大臣が靖国神社に参拝することは,中国からの中止要請とは全く無関係に,重大な憲法違反の疑いを含む「国内問題」である。先に条文をみておこう。

日本国憲法 第20条

  1. 信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
  2. 何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3. 国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 小泉純一郎個人がどのような信仰をもっていようとも,それは問題ではない。その職業が内閣総理大臣というきわめて重大な権限と責任を有するものであっても,信教の自由は一切制限されない。従って,小泉首相が「個人的に」靖国神社に参拝したいと思い,また実際に参拝することについては,政治的に(支持するかどうか)はともかく法的には,問題にできないと考えるべきである。
 しかし,憲法は信教の自由を保障すると同時に政教分離原則を定めていて,国及びその機関(例えば「内閣」)の宗教的活動を禁止している。従って,内閣が靖国神社への参拝を国家事業として遂行することは憲法上できない。そこで,小泉首相の参拝が「私的」か「公的」かが問題となる。
 政府は,あくまで「私的」参拝であるから,憲法違反にはあたらないと主張している。この主張を認めたのが,昨年5月の大阪地裁判決である。しかし11月の千葉地裁判決では,首相が公用車を使い,秘書官を随行させて,「内閣総理大臣」の肩書で記帳したことなどは,「内閣総理大臣の職務行為に該当すると認めるのが相当」だとして,「公的」参拝だと判断した。
 さらに福岡地裁は,「公的」参拝だと判断した上で,首相の参拝は憲法20条で禁止されている「宗教的活動」にあたるものだとして,明確な違憲判決を下している。既に判決の出ている5つの訴訟のうち,3件で「公的」と判断されていることを踏まえれば,政府の「私的参拝論」には十分な説得力がないということになるだろう(今月28日には,那覇地裁の判決も出る予定)。
 私は,首相が公用車を使い,秘書官を随行させて,「内閣総理大臣」の肩書で記帳したとしても,一言「私的参拝です」とことわっておけば,それで憲法問題をクリアできたのではないかと考えている。しかし実際には,「私的」か「公的」かを明言しないばかりか,「内閣総理大臣として」参拝していることのほうを強調し,「私的」参拝であるとうかがわせるような発言はしていない。政府の「私的参拝論」は,小泉首相本人の口から出たものではなく,問題を大きくしたくない官邸・官僚の「配慮」によるものだ。
 例えばキリスト教徒の総理大臣が仕事の合間に教会へ礼拝にでかけようとする際,公用車を使い,秘書官を随行させなければならない事態は容易に想像できる。総理大臣の「拘束時間」は24時間であって,「私的」な時空間は「公的」な時空間の中にしか作れない。それでもその個人の人権は最大限保障されるべきであり,過度に厳密な「分離」を要求して「私的」な権利を制限すべきではないだろう(そもそも政教分離原則は,何より個人の信教の自由を保障するために定められているものである)。
 そう考えるならば,靖国神社の歴史や性格を強調して参拝行為自体を批判するよりも,首相の宗教的行為を「私的」領域に押し込めるために憲法上のライン侵犯を監視することのほうが,合理的であるように思う。となれば当然,靖国神社以外のケース,例えば伊勢神宮への参拝も同様に「私的」か「公的」かが問われなければならない。そしてその先には,天皇制と神道儀式の関係や,天皇の人権という難題が控えている。