政教分離

 自民党が昨年11月に発表し(党内事情によりすぐに撤回し)た「新憲法草案大綱の素案」には,修正すべき権利規定として,「政教分離」が掲げられている。この素案の前提となる自民党憲法調査会による「論点整理」には,「政教分離規定(現憲法20条3項)を、わが国の歴史と伝統を踏まえたものにすべきである」と書いてある。いったいこれは,どういうことだろうか。
 そもそも日本国憲法政教分離規定は,わが国の歴史と伝統を十分に踏まえたものである。条件付きとはいえ一応「信教の自由」が保障されていた明治憲法下において,天皇制と密接に結びついた神道が国教的地位を占め,信教の自由が蔑ろにされ,さらに権力の魔術化を招いて極端な排外主義へと傾斜していった歴史がある。
 必ずしも政教分離が近代国家の必須条件というわけではなく,国教制度をもちながら信教の自由を保障する方式(例:イギリス)もあるが,日本の歴史と伝統を考えたとき,権力から信仰を守り,また宗教から政治を守るためには,政教分離,特に国家神道と政治の分断が必要不可欠だと考えたからこそ,20条3項の規定があるのだ。
 この考え方を覆し,「わが国の歴史と伝統を踏まえたものに」するということは,再び祭政一致の権力構造を作り出そうとするものではないかと疑わざるを得ない。そしてそれは,単に靖国神社公式参拝を「合憲化」するだけにとどまらない。国家と国民,法と道徳の関係を抜本的に変更しようとする壮大な構想である。
 ここに,青少年保護のための表現規制,家族制度の擁護,愛国心教育などを絡ませてみれば明らかな通り,自民党憲法改正を通じて,国民の道徳,すなわち「心」の領域を統制しようと企んでいる。これは,9条改正による防衛政策の「追認」よりも,はるかに深刻な問題を含んでいるように思える。9条=平和論に傾注する「護憲派」の戦略も,見直されるべきではなかろうか。