中曽根試案

中曽根元首相が会長を務める世界平和研究所は20日、全116条からなる「憲法改正試案」を発表した。天皇を元首と定めたほか、焦点の9条改正では、「戦争放棄」は維持しつつ、防衛軍の保持を明記、国際貢献活動への防衛軍の参加を認めた。中曽根氏は自民党の新憲法起草委員会の委員で、顧問会議のメンバーでもある。「中曽根試案」とも言えるこの案は、今年11月に向けた自民党内の改正草案づくりにも影響を与えそうだ。
試案は同日、中曽根元首相が記者会見して発表した。前文をすべて書き換え、冒頭で「日本国民は独自の文化と固有の民族生活を形成し発展してきた」と伝統の意義を強調。第1条で天皇を元首と明記した。
安全保障については、「国際の平和及び安全の維持、人道上の支援のため、国際機関及び国際協調の枠組みの下での活動に、防衛軍を参加させることができる」として、防衛軍の海外派遣を国連決議に基づく活動に限定しない考えを示した。
一方、首相が防衛軍に武力行使を伴う活動を命じる場合には、原則は事前、場合によっては事後に国会の承認を義務づけた。集団的自衛権には言及していないが、中曽根氏は「国際協力活動への参加や国や国民の安全を保つため、当然含まれる」との解釈を示した。
 「政党は総選挙に際し、首相候補を明示しなければならない」との規定を設け、議院内閣制のもとでも、中曽根氏の持論の首相公選制に近い仕組みを盛り込んだほか、国会が憲法改正を発議できる要件を、現行の衆参各院の総議員の「3分の2以上」から「過半数」に緩和した。
(1/20 asahi.com)

 いま世界を見渡して,日本が「国家として」誇ることのできる「独自の文化」といえば,日本国憲法9条の武装放棄条項より際立ったものはないだろう。戦後(=被爆後)60年の間,「日本国民」が守り育ててきた「平和の伝統」を,この中曽根試案は軽く見過ぎている。
 もしいま私たちが憲法の安全保障に関する条項を改正しなければならないとしたら,9条だけでは「平和の伝統」を守ることができないと判断するほかない新しい現実を目の前にしていることになる。果たして,そのような現実が「本当に」目に見えているだろうか。「9・11」や「北朝鮮」というキーワードを耳にして,あたかもそのような新しい現実が目に見えているような気がするかもしれない。しかし,その「噂話」は本当か? 世界最先端の平和主義国家として,その「伝統」を重視するならば,ここは慎重に世界の「現実」を見極めなければならない。

 「絶対護憲」と決めている人も「絶対改憲」と決めている人も,実はそんなに多くない。おそらくは,必要があれば改正すればいいし,そうでなければ改正しなくていいと思っている人が多数派だ。しかし国会や財界を中心に,憲法改正を前提とした議論が盛り上がりつつある。なぜだろうか。憲法を改正すると得をする人が,国会や財界には多いのだろうか。
 私を含めて,日本国憲法の下での「日本」しか知らない世代にとっては,憲法を変えるといまの「日本」がどう変わるのか,想像するのも難しい。だから,本当に変えても問題ないのか,大丈夫なのか,いろいろシミュレーションしながらじっくり考えたい。そういう時間と,そのための情報が必要だ。
 そう思う人に軽い本をひとつ紹介。岩波新書改憲は必要か』(isbn:4004309115)。基本的に「護憲」の側に立つ研究会「憲法再生フォーラム」がまとめたもので,8人の学者・評論家が文章を寄せている。改憲論に対して「言語道断」と反対するような「絶対護憲」の調子ではなく,その改憲論の背後にある事実関係を探りながら,その意味を丁寧に読み解き,本当に憲法を改正する必要があるのか,あるいは改正すればすむのか,改正した場合のメリットとデメリットを比較衡量しながら,「現実的」な道筋を見出していこうとする。この場合の「現実」とは,日本の論壇や永田町にだけ見られるものではなく,広く世界の「現実」だ。