北朝鮮民主化計画

 社会学者・大澤真幸は,新刊『現実の向こう』(isbn:4393332288)の中で,約100頁を割いて「憲法の話」をしている。「ただ消極的に護憲を叫ぶのではだめ」という立場から,「日本国憲法の根本的な弱点」をはっきりさせた上で,いくつかの「積極的」な提案をしている。
 そのうちのひとつが「北朝鮮民主化計画」である。

1.「日本は北朝鮮からの難民をいくらでも受け入れる用意がある」と宣言する。
2.中国政府を説得して,北朝鮮国境の警備を緩め,その透過性を高めてもらう(北朝鮮から中国への難民を,北朝鮮に送還するのではなく,日本に送ってもらう)。
3.日本の「宣言」を受けて,韓国も難民受け入れを拒めなくなる(結果的には,日本よりも韓国が多くの難民を受け入れることになる)。
4.このとき韓国に生じる負担に対して,日本が経済援助する。

 東欧がそうだったように,「脱出口」さえあれば,内部に反体制運動・民主化運動が起きる。日本は軍事力を使わずに,民主化運動を誘発することによって,北朝鮮の現体制を内部から崩壊させることを考えればいい。北朝鮮民主化されて軍事的な脅威でなくなれば,東アジア各国の同盟関係・友好関係をベースにした安全保障体制を組み立てることができるだろう。そうすれば,日米安保条約に依存した外交戦略から脱却して,日本国憲法が掲げる平和の理念を追求していく道が開ける。……そういう提案だ。

 この筋書き通りに事が運ぶとは思えないという反論があるに違いない。しかし,その前に重要なことは,「北朝鮮からの難民をいくらでも受け入れる」覚悟ができるかどうかだ。その覚悟がないのなら,その先のシナリオをいくら検討しても意味がない。
 北朝鮮を前にして,軍事力に頼らなければ平和を保つことができないと考えるのは,北朝鮮の「変化」を度外視した硬直思考の例だといえる。北朝鮮が「変化」する,あるいは北朝鮮を「変化」させる力学を視野に入れれば,北朝鮮との「共存」も決して到達不可能な領域ではなくなってくるだろう。そのためには,他者の変化を触発する「われわれの変化」が重要だと大澤真幸は言っている。この提案を「学者の理想論」として一蹴する前に,平和のための「覚悟」について考えるべきことがあるように思う。