環境権

 船田試案が列挙した課題は,そのひとつひとつが重要な論点であり,多くの議論を必要とするはずのものであるのに,いずれも現代日本が抱えるさまざまな不安や不満に対して,とりあえず何らかの効果をもちそうな,ある程度「たよりがいのある」政策を期待させ,標語としては耳に心地よく響く可能性が高い。だから案外,大した議論もなされずに,すんなり通ってしまいそうではないか。例えば「集団的自衛権」の容認を含む9条改正などに比べ,反対運動の盛り上がっている光景を想像することが難しい。これこそが,多数決では掬えない個人の自由や権利を保障しようとする人権理念にとって,何より「厄介」な問題ではないだろうか。
 例えば,環境権を「新しい人権」として憲法に書きこもうという提案も,船田試案のみならず,憲法改正論議の中ではくりかえされてきたものだが,これに反対する勢力はほとんどみえてこない。ならば,政府は,環境権保障法でもなんでも法律を作って国会に上程してみればいい。圧倒的多数の賛成によって,法律は成立し,憲法改正を待たずとも,環境権保障は日本の国家政策として実現するはずである。
 そうしないのには,大きく分けて2つの理由が推測される。1つは,実は環境権保障のことなど本気で考えているわけではなく,改憲派のイメージ戦略に用いられているにすぎないというケース。もう1つは,自民党が考えている環境権政策は,実は各論を詰めていくと,みんなが賛成するような耳に心地よいものとは違った,深刻な自由の侵害を含んでいるため,標語としては掲げることができても,その中身を具体的に示すわけにはいかないというケース。もちろん,その両方が混在していることも考えられる。
 誰だって「いい環境」の中で生活したい。その願いを叶えることが権利として保障されるという話は決して悪いものではない。しかし,「いい環境」とは何か。「いい」「わるい」は誰が決めるのか。「私」が決めていいのか。それとも「国家」が決めるのか。
 環境権とは,環境破壊行為を差し止める権利なのか,環境阻害要因を排除する権利なのか,もっといえば,環境阻害要因になりうるものを予防的に排除する権利まで含むのか。そもそも環境とは,大気・水質といった自然的環境に限るのか,それとも文化的環境まで含むのか……。
 環境権については,その目的,定義,対象,程度,権利保障のための制度,基準,禁止事項等々があまりに不明確で,その具体的内容はほとんど見えてこない。改憲派の狙いがどのあたりにあるのか,注意深く見守る必要がある。
 
 追記:環境問題に関わる諸団体を護憲運動から切り離す狙いが含まれているとするならば,ここで諸団体の性格がそれぞれ浮き彫りになるだろう。戦争こそ最大の環境破壊という事実を踏まえるならば,賢明な環境運動団体は,9条改正に最後まで反対する必要がある。