皇室典範改正論議

皇室典範の改正をめぐる議論の中で最も気になることは,女帝容認/慎重の立場に関わらず,「こういう問題を政局にしてはならない」というような発言が繰り返され,どこか「遠慮」した空気が全体を覆っていることである。
天皇制のあり方について議論することは,当然,国家観の衝突を覚悟しなければならないので,党内融和の観点からすれば,論争の過熱を回避したいという力学が働いても不思議ではない。
しかしこれは,例えば民主党が安全保障論議を深めることによって党内対立が表面化することを恐れるのとは違った種類の「遠慮」である。「ことの性格上〜」といった言い方に,その奇妙さがみてとれる。
本来,国会議員がそれぞれの国家観を披露することは歓迎されるべきことである。また,そもそも国会は,様々な国家観が存在することを前提として,ときには鋭い対立を含みながらも開かれた議論が行われる場としてあるのではなかったか。
天皇制をめぐって,活発な議論がなされることをよしとしないような空気は,民主主義の危機そのものである。それぞれの立場で堂々と国家観を掲げ,この国のあり方について大いに語り合うべきだ。