医療扶助廃止

生活保護申請者で,自治体の医療助成制度などを活用しても生活が苦しい人は,社会福祉事務所などで発券する診療依頼書を持参すれば,窓口負担ゼロで診療を受けられるようになっている。この制度を医療扶助という。生活保護予算のほぼ半額(2006年予算で1兆4000億円)が充てられている。
ところが厚生労働省は,この制度を見直し,最低でも1割の自己負担を求める方向で検討に入ったという。
政府は,2011年までに社会保障費を1兆1000億円削減することを目標にしている。これを受けて,財務省は,社会保障費の伸びを,今後5年にわたって毎年2200億円圧縮するよう,厚生労働省に求めている。
厚生労働省は,生活保護の「母子家庭加算」や「地域加算」を見直したり,雇用保険の国庫負担を削減したりすることによって,既に2007年度予算については2200億円の圧縮を実現する見込みだが,2008年度予算については,まだ見通しが立っていない。
そこで,生活保護の本体部分にあたる「生活扶助」の水準を切り下げるとともに,医療扶助の一部自己負担化を押し進めることによって,社会保障費の圧縮をやり遂げようとしているらしい。それでもまだ1000億円程度の削減にしかならず,目標達成のためにはさらに1200億円分の削減策を講じなければならない。
以上の情報は全て今朝の毎日新聞に掲載されていたことである。私はこれを読んで,少々驚いた。生活保護を受けなければ生活できない経済状態にある人にまで医療費負担を求めなければならないほど日本は貧乏な国になったのだろうか。それとも単に,ケチな国になっているだけだろうか。
ベンツやポルシェを何台も持っている人がいる一方で,どんなに頑張っても中古の軽自動車しか買えない人がいる「格差」を,私は悪いことだとは思わない。潤沢な収入に支えられた余裕のある生活が,文化の多様化を推進する原動力になることを期待もする。「みんな同じ暮らし」という意味での平等を求める気はない。
しかしそれは,社会保障費の削減を肯定することには繋がらない。特に,生活保障の最低限度を切り下げることには断固反対である。「上層」と「下層」があってもいいが,「下層」の最も「下」であっても,「健康で文化的な生活」が保障されなければならない。それが大前提である。幸い日本は,世界有数の先進国。最下層の生活を健康で文化的なものとして維持するだけの国力を有しているはずである(本当は世界中の貧困問題を度外視すべきでないことを承知しているが,ここでは措く)。
生活保護受給者にまで医療費負担を求めるというのは,ついにここまできたか,という局面であるように思う。「社会保障の小さな政府」路線に,いいかげんブレーキをかけないと危ない。