「再チャレンジ」(2)

安倍晋三は今日,経団連の御手洗会長と会談し,「再チャレンジ」政策への協力を要請した。具体的には,中途採用枠の拡大や産後女性の再雇用等を要請したらしい。一度「外れた」人が「再チャレンジ」できるよう「席を用意してほしい」ということだろう。
これに対し,御手洗会長は,このように回答した。「仕事の“成果”に軸足を置いた職務給に移行する必要がある。そうすることで日本の労働界に流動性が生まれて,チャンスも増える。フリーターの職業選択範囲も広がるのではないか。」
つまり,「誰かを座らせるためには,誰かに立ってもらうしかない」ということだ。椅子の数は増えない。みんなが座れるわけではない。座れる人と座れない人がいる。熾烈な競争だ。経団連としては,座れない人に同情する気は全くない上,座っている人にもラクをさせる気はない。単に,労働コストのパフォーマンスを上げたいだけだ。より高い水準の労働力を自ら進んで提供する労働者に,椅子は与えられるだろう。
結果,安倍晋三の「再チャレンジ」政策は,成果主義人事の拡大・浸透を促し,「できる人」と「できない人」の格差を広げていくことになる。もちろん,ここでいう「できる」とは,使用者によって「できる」と評価される,という意味であり,実際に何が「できる」のかは明瞭でない。労働者は「できる」との評価を得るために,〈生〉の全体を使用者に差し出すことになるだろう。労働者の生活は全面的に所有され,徹底的に搾取される。それは全て「椅子に座りつづけるため」だったはずだが,それでもなお安定が保証されるわけではない。そのような「流動化」を望むのは誰か。それは本当に多数派か。
安倍晋三の「再チャレンジ」政策を,小泉構造改革によって拡大した格差を「是正」するものだと誤解している人が多いのは,マスコミの「誤報」によるところが大きいとはいえ,困ったことである。今日の安倍−御手洗会談で確認された安倍政権の方向性が望ましいものかどうか,ちょっと落ち着いて考えたほうがいい。